2010/02/05

品格

昨日、朝青龍が引退した。
マスコミを賑わせているのは、彼自身の”品格”と云う一点に集中している。
土俵上、土俵外での彼の行為は品格がないらしい。
品格とはなんだろう?

「品格」 その人やその物に感じられる気高さや上品さ。品位。

と云うことらしい。

土俵上での彼はどうであったか?
ガッツポーズ、にらみ合い、勝利が決まっても尚、相手を徹底的に叩きのめす姿勢など、上げれば枚挙にいとまがないように思える、が…
それが果たして品格の無さに直結するのだろうか?
土俵上の朝青龍は獣だと僕は考える。
野生の、獲物の骨まで喰らうほどの。
僕はそこに”闘う=生きること”のような厳しさを見る。
それは動物の本能ではないだろうか?
倒さなければ自分が死ぬという危機感。
それが勝利への異常なまでの集中力と貪欲さを彼にもたらしているのだろう。
僕は野生動物の生き様を見て、品格が無いとは思わない。
むしろ気高く崇高だと感じる。
生きる為に必要なことだけに集中し、実行する。
非常にシンプルであり、合理的で、エゴイスティックで、利己的だと思う。
しかし、朝青龍がもし、”闘い=生きる”ことだと考えていたら、それは一切の矛盾を孕むことの無い態度ではないか。

土俵外の彼は自由奔放だったのだろう。
彼の無邪気な笑顔に他意は感じられない。
マスコミ報道で云われて居る情報はどこまで正しいかわからない。
酒を飲んで暴れたことも、巡業をケガで休み母国でサッカーに興じたことも、マスコミは全てを報道していないだろう。
たぶん彼にも落ち度はあったのだろう。
その分監督者にも落ち度があったと思うが。

角界で云われる品格とは、対戦相手を敬い、品行方正、謙虚に、慎ましくなどの道徳的な考えに近い。
彼の品格の無さを、彼個人の責任とした、横綱審議委員会、理事会の行動は理解に苦しむ。
横審は彼を横綱にした時点で、己の眼力に責任を持つべきであろうし、理事会は全力士の最終的な監督責任があるのではないか?
協会は彼を観客収入や相撲人気向上にに利用するだけ利用した感があるのは否めない。
一人横綱として、一時期角界を背負ってきたのは誰であったか?
今は白鵬が横綱として台頭したので、問題を起こす彼を切り捨てたと云うことか。

朝青龍は引退会見で自身の”けじめ”の為に引退を選択したと述べた。
やくみつるの云う解雇や除名ではなく、自主的な引退には退職金が出るという実を取ったとする見方もわからないではない。
彼は引退することによって”けじめ”をつけ、協会は退職金を払うことで”責任”を果たしたと云うことなのだろうか?

彼を最後まで”品格”ある横綱に指導できなかった親方、そして理事会と横審は何を失い、何を得たのか。
今回の朝青龍の引退によって、考えさせられる問題は小さくない。

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