2010/03/11

パリ#4 街のディテール〜都市と云う生物

カメラを持って街を歩くと、その街の細部が見えてくる。
人の暮らしや街の歴史、そして自分と街との関係性など。
その中で気づくのは、やはりディテールであり、人々の生き方だ。

パリに限らずヨーロッパには地震が殆ど無いと云う。
それに建物が石造りなので、歴史的な建造物が街の中に多く残っている。
別に歴史的な建造物ではなくとも、昔から建っているアパルトマンなどが非常に多い。

俺はディテールにある種のフェティシズムをおぼえるので、長い時を経た趣のある建物の外壁や濡れた石畳には妙にエロティックなものを感じてしまう。
そうでなくとも、ああ云った建築物や街の景色などの、歴史と時代を感じる空間の中で生きると云うのは日本人の自分からすれば、少なからず精神や思考にいい影響を与えそうだと考えてしまう。

抽象的な話になってしまうが、都市のディテールと云う感覚だけで云うと、パリは不衛生だったが美しく、東京は衛生的だが美しくない。
東京のディテールをフェティッシュに美しく撮った日本人の写真家を、森山大道以外俺は知らない。
荒木経惟は街ではなく東京と云うヌードを撮っているし、記号的なフェティッシュ(濡れた傘や、木の裂目など)を写してはいるが写真自体は別にフェティッシュではない。
東京で唯一好きな街は新宿だったが、最近は均質化されてしまいあまり面白くない。
子細に見ていけばまだまだ東京は面白いのだけど、呼吸をするように街のニオイを感じる事はどんどん出来なくなっている。
均質化と平面化は現在の同年代の写真家や美術家の作品に多いが、自分自身は街はデコボコしていないと面白くないと思う。
街は混沌として、その突起やへこみに埃が付き汚水が溜まる。
その埃や汚水はけして衛生的ではないが汚いとは思わない。
それはある瞬間、誰かの目によって美に化ける。
それがなくなると街はプラスチックのようにつるつるとしてしまい、そこに生きる人も街自体も死んでしまうのではないだろうか。
東京がそうなってしまうと少し寂しい気もする。

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