2010/03/10

パリ#3 恥の美意識

パリの地下鉄はめっちゃ揺れる。
常に急発進、急停車。
ホームにはホームレスが居て、そこら中でションベンしてるし、何か叫んでる。
酔っぱらいも多いし、車内で演奏してるミュージシャンもチラホラ見かける。
ドアは自分で開けるタイプで、乗り降りがない場合は閉まったまま。
あれはすごくいいと思う。
階段でベビーカーを持って困った人が居れば誰彼構わずサッと手助けするし、老人が重い荷物を持っていれば若い人は持ってあげたりもする。
で、階段を下りれば何事もなく自分の方向へ。
ああいうサラッとした親切は日本だとなかなか出来ない。
してあげたいと思っている人は日本にもきっと沢山居るだろうけど、照れてしまって行動に移せない事が多いのではないか。

NYでもパリでも感じた事だけど、皆自分の距離を持っていて、でもそれは頑なではなく、ある瞬間それは急速に縮まる。
それは他者とのコミュニケーションの瞬間なのだけど、その絶妙な距離感の取り方が外国人は本当に上手だ。
必要以上に他人を詮索しないし、ある特定の距離に近づいた時は自然に挨拶と笑顔が出る。
それは自己防衛にもなるからだろう。
パリやNYなどの大都市は基本的にマルチカルチュラリズムを取っているので(表面上は)、人種や民族間を越えた付き合いがどうしても必要になってくる。
そうした場合に挨拶と笑顔はコミュニケーションの基本になるのだと思う。
だから日本人が単一民族として、歴史的に諸外国からの武力的支配(精神的、経済的なものではなく)を受けてこなかった事で、コミュニケーションが下手なのは仕方がない事だ。

前々回登場したゲイの友達とBARで飲んでいて、路上でキスをする話になった時に「あなたはすごくシャイだ。いい女を見て声もかけられない、パブリックスペースでキスも出来ないようじゃ、パリの女にはぜっっっっっっっったいにモテない!」と言われた。
彼(彼女?)の言う事はすごく良くわかるが、俺は恥ずかしくて出来ない。
その”恥”と云う美意識が日本にはあって、キスは”秘め事”なのだ、と彼に説明すると彼は「それは美しい!」と言っていた。
だけれども、それが出来なければやはりパリでは絶対にモテない!と念を押された。
どちらの文化も素晴らしいと思うが、俺は日本人で”照れ”と”恥じらい”を重んじるだろうから結局外国人にはモテない気がする。
もうひとつ、俺が頑なにパリでそういう事をするのが嫌なのは、雰囲気に流されているような気がするからで、パリだから、ロマンティックだからということでキスをしてしまえば、それは俺がしたのではなくパリがしたのだ。
それは相手の女性に失礼に当たると俺は思ってしまう。
でも堂々と年齢も気にせずキスをしている老年のカップルを見ていると、あぁ…こういう文化なんだなぁ、とつくづく自分が日本人である事を再確認するのだ。

「ちゃんとキスしてお前!!!」…

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